優しい悪魔

 

十月のある日。空は澄み渡るように晴れていた。
こんな日は要を連れて散歩にでも出るのも悪くはないが、彼は生憎二日前から酷い風邪を引き、熱を出して伏せったままだ。
大分回復したとはいえ微熱は続き、今朝出した食事も一口二口食べて後は全て残してしまった。
恐らく環境の変化に慣れ、気が緩んでの事だろうとは思うが、頬を真っ赤にしてうなされている姿が哀れでならなかった。

医学の心得があるとはいえ何も出来ない時もある。
必要な薬の名は分かるが、要を一人にして街に出る訳にもいかない。
それに弱っている要の看病をするのは、悪くない。
目が覚めたらきっと喉が渇いている。柚子を絞って、はちみつ湯を作ってやろう。
潤んだ瞳で礼を言う姿を想像して、幹彦は口元に笑みを浮かべた。


――がたん。がたがたっ。
物音にふと廊下を歩く足を止めた。
引っ越して来て以来、物置と化していた端部屋からだ。
鼠か猫が入り込んだか―――泥棒か。
可能性は低いが全くの零でもない。
以前にも、別荘地に迷い込んできた人間が庭に居た要に道を聞いてきた事がある。
気が付いて適当に誤魔化したが、この暮らしが人に知られれば困った事になるのは目に見えていた。
入り込んで来る人間が物盗り目的ならば、まだ不幸中の幸いとでも言うものだ。

胸の隠しに右手を入れたまま、そっと音を立てずに左手でドアを開けた。

「??」

がしゃんっ、と大きく音が響いた。
見れば部屋の奥に黒い影。―――否、黒い猫。
自分の姿に驚いて奥に駆け込んだ際に、ガラス瓶を落としたらしい。
壁を背にして金色の瞳を警戒に光らせている。
それにしても、一体どこから入り込んだのやら。
自力では出られなくてパニックになったらしく、部屋の中は随分引っ掻き回されている。

やれやれと思い、ドアを開けて出て行くのを暫く待ったが、黒猫は固まったようにそこから一歩も動こうとしない。
自分は要とは違い、動物にも好かれないようだ。そして自分も生きた動物に興味を持つ事は無い。
それよりも早く割れたガラスの破片を片付けなければ、要が不用意に触れて怪我をしては堪らない。
どちらにしても乱雑に積まれた箱など、いかにも要が崩してしまいそうな危なさだ。
危険を危険だと認識できない彼の為にも、この家の中はどこもかしこも安全な場所でなければならないのに。

仕方なく、つまみ出そうと黒猫に手を伸ばすと低い唸り声を上げて威嚇をされる。
小さな猫だ。力を込めれば素手で縊り殺してしまえそうな程に。
「ふむ・・・・・・」
どう処理するのが効率的かを一瞬思案する。
迷わず首に手を伸ばして掴むと、猫は闇雲に鋭い爪を出して暴れた。
小猫とはいえバネのような強さで激しく跳ねたので何度か腕に爪が掠ったが、気にせず縁側まで連れて行き、庭に放ると猫は一目散に駆け出して消えた。

「――さて、どこから片付けたものか」






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