三角 其の弐



何だかなあ、と思う。

他人の手を借りてまで、それも、これは後に知った事だがかつての想い人である月村先生の前で手酷く犯したというのに、抱月はまるでそんな事は無かったかのように、依然として要の前に現れる。

「何だかなあ・・・」
「ん?どうしたんだい、大きな溜め息なんて吐いて」
今日も今日とて、編集人から逃げる事を生業としている彼は、筆一本持たずに薔薇の木の根元に座っていた。
それに付き合う必要は無いのだけれど、会ったのに避けるというのもおかしな気がして結局自分も隣に腰を下ろしてしまう。
暫くはぽつぽつと世間話等をしていたが、年上の抱月と話すのは面白く、いつの間にか夢中になりかけて、はっとする。その繰り返しだ。

「水川先生がちょっと羨ましくなったんですよ。貴方を見ていると、自分が酷い事をしたという意識が薄れて困ります。」
「おやおや。こう見えて僕は結構傷ついたんだよ。君がお相手してくれるならともかく、別の人を連れてくるなんてさ。そんなに僕って魅力無い?」
無い訳が無い、と言いかけて口を噤む。
抱月と寝たいかと問われると、やはりそれは微妙な話だ。
先達て見た情交の場面では、彼が床上手なのは明らかなのだが、同い年の抱月を見て、月村を思い出さない自信は要には無い。

そうだ、水川先生は、月村先生と昔接吻をなさったと言っていた・・・。
愛撫は受けても、自分は情も口付けも交わした事が無いと言うのに。
心に重く圧し掛かる事実を思い出し、自分の中がくるりと反転するような気がした。

「しおらしくおっしゃる割には結構楽しんでいたようにお見受けしましたが?」
「そりゃね、君のお友達は結構な美人だったし。・・・自分より一回り近く年下の少年に犯される、なんて中々できない倒錯的な経験だったし。楽しまないと、損でしょ?」
「その後も彼と会ってらっしゃるんでしょう?僕に内緒にしたって、無駄ですからね。彼の事も手練手管ですっかり手懐けてくれちゃったみたいだし・・・・。」

それは本当の事だった。
ある程度の信用はしているので、 別に虜の誰が誰と会おうと止めるつもりも無いけれど、月村先生が、自分に隠し事をされるのが我慢ならないと言った気持ちも分かると言うものだ。
飄々と人の心に探りを入れられる抱月は、味方になるなら心強いが、うっかりすると主導権を奪われかねない。

「やだな、そんなつもりは無いんだけど、気を悪くしたかい?」
「いいえ、でも怖い人だと思いました。虜にするつもりで、こっちが篭絡されかねない。流石年の功だけありますね」
最後にくすっと笑うと、抱月は面食らったように口を半開きにさせている。
それを見て何だか少し胸がすっとした。

「・・・さらりと酷い事を言うね。要君の虜だったら、僕は喜んでなるけどな」
「そんなに良いものでも無いですよ。水川先生は、僕が守ってあげなきゃいけない程弱くもないでしょうし」
「う〜ん、それはそうだけど。でも、彼の事も随分上手く仕込んでるみたいだしねえ。やっぱり興味あるよ、君。」

だからどうしてこの人は、僕と月村先生ともう一人によって三人がかりで犯されたというのに、こんなに飄々としているのだろう。
何だかどうにも、もう少しいたぶって凹ませておかないと、落ち着かないような気持ちになる僕は、どこかがおかしいのでしょうか?天国の母さん。

 

 



「先生の事は今でも、好きですよ。だから、先生がまだ僕の事を嫌わないでいてくれるなら、考えても良いです。・・・・でも僕、先生と違って別にそういう事が好きな訳じゃないし・・・。どうしても必要があるからしているだけで、本当に先生みたいな好き者じゃないし・・・」

何だか無邪気な顔をして、好き者好き者と繰り返しているが、それはわざとなんだろうか要君。

「さっきも言ったけど、僕は色々傷ついたんだ。君が幹彦といちゃつきながら傍観者よろしくしている間にね。昔の傷まで抉っておいて、責任感じない?慰めては・・・くれないのかい?」
半分は本気の挑発、もう半分は様子見のつもりの言葉だ。
他人の心の闇を覗くのが仕事だとは自分で言った言葉だが、手っ取り早いのはその人間を怒らせてみることだと知っている。
何だかこの子は、何かをきっかけにスイッチが入るとその闇が顔を覗かせるらしく、人が変わったように残酷な事を平気でやってのけられる人間になるらしい。
まぁ、あの日の豹変振りに、本当は会いに行くのが怖い気がしていたのだけれど、実際会ってみるとその憂いた花のかんばせに拍子抜けしたものだ。

「・・・・・恨みがましく言いますけどね、大体貴方が首を突っ込んできたのがいけないんだ。貴方に会った事を月村先生に秘密にしておいた事も、何だか先生を酷く怒らせてしまったし。僕があの時どれだけ恐ろしかったかわかります?おあいこですよ」

しかし和やかだと思っていた初夏の黄昏が、こうも唐突に兇悪さを孕んだ闇を連れてくるというのは、油断してしまう分だけ性質が悪い。
無表情に人を殺せる人間を知っているが、彼は笑顔で人を殺せそうな気もする。
殺され役は、御免だが。

「要君のケチ」
「・・・・・・・」
「ははん、さては君、相当嫉妬深い性質なんだな。そりゃ僕と幹彦は学生時代にキッスした仲だし、君の差し向けたお友達も最近僕にメロメロだし、気持ちは察するけどね。でもそんなの、男らしくないよ?」

とうとう固まって黙り込んでしまった彼を見て、少し虐め過ぎたかもしれないと心配になったのも束の間。
彼はゆらりと立ち上がると、ぽんぽんと服に付いた砂を払い、座っている僕の方を、更に顎を上げて見下ろしながら、腕を組んで、小首を傾げた。

「嫉妬?僕が、恥じらいの欠片も無い三十路男に?冗談も休み休みに言って下さいませんか?」

一語一語、ゆっくり、はっきり、噛んで含ませるように言い切って、彼は仕上げに笑ってみせた。
心底憎らしくなる程の、壮絶に美しい笑顔だった。
同時にぴきっと音がする程に、 空気が凍った。

「・・・君って本当に可愛がりがいのある性格をしてるねえ。いいよ、もう遠慮しない。さっさと訂正しないと・・・後悔する事になるよ」
「望むところです」

毒を喰らわば皿までも。とは、よく言ったものだ。
立ち上がって彼の横を通り過ぎると、僕は振り返る事もなく歩き出した。


 




「仲の宜しいことだ」

教授室の窓から、連れ立って林の中へ消えていくレイフと要を見送る。
会話は聞こえなかったが、今日の要は随分活き活きとしている。
少々出過ぎた真似をするのが気にならない訳ではないが、やはりレイフを仲間に引き入れたのは正解のようだ。
レイフが要の害にならない・・・及び、要に関する事象を醜悪な筆によって世にばらまかないと約束された今、要と彼が自分を差し置いて会っていても大して嫉妬の情念は湧いて来ない。

―――それよりも
レイフに嫉妬する要は、可愛くてならなかった。
拗ねた瞳も、不機嫌を隠した声も、これ以上なく心地良い響きだった。
あの時はつい熱心に愛撫してしまい、要が息も絶え絶えになってしまったくらいだ。

「明日はレイフを誘って珈琲でもご馳走しましょうかね」

更なる修羅場が期待されていることを、二人は知る由も無い。

>>戻ル

 

 

inserted by FC2 system