三角

 

「邪魔をするぞ」
休日の午前中。
下宿の大家に起こさなくても良いと伝え、惰眠を存分に貪っていたと言うのに、突然の闖入者は大して悪びれもせずにふすまを開けて入って来た。

「ん・・・?金子さん、何故・・?」
「何だまだ寝ていたのか、もう昼に近いぞ。」

金子は手近な場所にどさっと腰を下ろしてポケットを探ると、早速煙草に火を付けている。
格好だけは良家の子息だが、さて、これはどういった礼儀作法を躾けられたものか。

「突然訪ねてきておいてその台詞ですか。僕は貴方の馴染みの女郎でも何でも無いんですけどね」
寝起きの無防備な姿を見られた気まずさから、些か憮然として応える。
けれど金子は気にした風でもなく、からからと笑いながら紫煙を吐いた。
「土産は持ってきた。舶来物のチョコレイトだ」
「いやそういう問題でも無いんですけど」
「嫌いだったか?」
そうか、と落ち込んだ風に、差し出した包みをあっさりと風呂敷に戻そうとするので慌ててその手を引き止める。
「あ、いや、好きですけど・・・」
「それは良かった。」
目の前の顔が嘘みたいにぱっと笑顔に変わって、何事も無かったように両手を掴んで包みを持たされた。
全く、調子が狂う。
こういう快活さは嫌いではないけれど、食べ物で釣られてしまった自分が情けない・・・。
「ありがとうございます・・・。」

布団の上にきちんと座りなおして、両手をつく。
「おはようございます」
「・・・・おはようございます」
「顔を洗って着替えてくるので、ちょっと待っていて下さい。」
「・・ん」

 

 

 

気配を感じたので要が戻ってきたのかと思い、入り口に顔を向けるとそこには意外な人物が立っていた。

「土田・・・、どうしてお前が此処に?」
「土田さん?」

身支度を整え、髪を結わえた要がその背後からひょこっと顔を覗かせ、首を傾げている。
その両手には薬缶と湯のみを二つ載せた盆。

「要」
注目されている当の本人は至って戸惑う事もなく(表面的にそう見えただけかもしれないが)、自然な動作で、幾分か喜色を浮かべて、要の手から盆を受け取る。
俺の存在は無視か。
まぁ、予想のできた行動だが。

「やれやれ、今日はお客様の多い事だ」
要が出しっぱなしだった布団を片しながら苦笑する。
友人かと問われると複雑な気分になるような関係だが、普通の友達というのは案外こんな風かもしれない。
下宿を訪ねてくる人間は滅多に居ないと言っていたが、彼は純粋に楽しそうだ。
「邪魔だったか?なら、帰るが」
「良いんですよ、金子さんとはお約束してた訳でもありませんし。ああもう、吸殻はちゃんと始末して下さい」
「相変わらず、つれないな」

―――しかし
何故、土田が此処に居るのだろう。
要は何も言わないが、自分の知っている土田は何の用も無く他人の家に転がり込む人間ではない。
それに、土田は・・・・・。
一番の疑問は、そこにあるのだが。
何故かそれを尋ねようとすると胸がつきりと痛んだ。緊張、しているのか、俺は。
本当にこいつが居ると調子が狂わされる。

「それにしても要、こんなに無防備にこいつを部屋に上げていて良いのか?先に言っておいてやるが、土田はお前に懸想している手合いだぞ?」
別段感情を込めずに、なるべく軽く言ってやる。
だが更なる上手はこちらを見る事もなくさらりと返してきた。
「知ってますよ」
ぽろっと手から煙草が落ち、慌てて拾いあげた。
畳に正座をした土田は、二人の会話が聞こえてるのか聞こえていないのかもわからない無表情で要を見ている。

開いた口が塞がらない。
どうやら自分の知らないところで、この二人の関係も微妙に形を変えていたらしい。
何より変わったのは要だが、土田の方もそう言えば今は何を考えているのかさっぱり分からない。
出し抜かれた、という事ではないが、自分はずっと見るともなしに見守っていたのだから少し寂しいような気もする。

「何だ?もしかして、お前も要に悪さをした口か?」
「・・・・悪さをした覚えは無いが、悪い事をしたとは思っている」
「は。まさかとは思ったが・・・・。何をして怒らせたのかはあえて訊かんが、その様子じゃ、相当酷い仕置きをされたんだろう。そんなに骨身に沁みたか?それとも骨抜きになったのか?」
「金子さん」
特に隠す気も無さそうな土田ににじり寄って畳み掛けるように質問を浴びせていると、要は花のような笑みをこちらに向けた。
「さすがに、僕を手篭めにしようとした事のある人の言葉は説得力が違いますねえ」
途端にぎろり、と土田が俺を睨む。
「金子・・・・貴様、説明如何によっては容赦せんからな」
「土田・・・待て、落ち着けっ」

絶対零度の闘志を孕んだ男の後ろで、にこにこと笑っている要程恐ろしい人間も居ない。
下手をすると、この可憐と言っても良いような容姿の青年は、月村より残酷かもしれない。



 

 

「・・・良かったじゃないか、想いが叶って。まぁ、お前のお望みの形じゃなかったかもしれないが」
赤くなった頬をさすりながら、金子は少し切なげに呟いた。
「まぁ、そうだな。お前達ならもっと別の形で分かり合う事ができたかもしれんが・・・・考えても詮無い事だ。諦めろ、土田」
本気で同情している様子の金子に、首を傾げる。
何故この男はそんなに自分の心の機微に詳しいのだろう。

「でも意外だな。失礼ですけど、金子さんはもっと嫉妬するかと思ってました。月村先生と張り合うのはいつもの事ですけど、この間も真弓さん相手に随分派手にやり合ってたじゃないですか。」
「・・・・ふん。あれは、突っかかってくる木下が悪いんだ。あんなに裏表の激しい人間だとはよもや思わなかった。」
何かを思い出したかのように、金子は憎々しげに唇を噛む。
金子の言動が気に入らなかった様子の要は、眼を眇めて言い返す。
「裏表云々は、金子さんは他人の事をとやかく言えないと思いますけど」
「・・・・・」
金子は暫く気まずそうに黙っていたが、赤く染まった目元をこちらに向けて、ぼそりと呟いた。
「・・・・・まぁ、確かに面白くは無いが、土田がお仲間になれば何かと便利だろうな、と思った事は一度や二度じゃないからな」
「・・・ふぅん、金子さんは認めてるんですね。土田さんの事」
要はそんな金子を表情の無い顔で窺いながら、何か考えるように口元に手を当てている。
「土田さんは?金子さんのこと、どう思ってたんですか?」
「・・・・・・・物凄い努力家だとは以前から思っていたが」
一旦言葉を切って、じっと金子の顔を見つめてみる。そしてさっき気が付いた事をそのまま言ってみる。
「お前、よく見ると綺麗な顔をしているんだな」
「・・・・・・・」
金子が絶句、していた。
堪らないと言うように、要は金子の袖に縋って肩を震わせている。どうやら必死に笑いを堪えているようだ。
「俺は、何かおかしなことを言ったか?」
「・・・・っ!いいえ、でもあんまり天然というのも、罪みたいですね。金子さん」
「・・・・俺に聞くな、性悪め」

 

それから何故かお前は天性のたらしだの何だのと訳のわからない難癖を金子に散々付けられるはめになった。
身に覚えが無かったのでそれを一々言い返していたが、さっきから要が一言も発していない事に気付き、そちらに視線を向ける。
何か感じ取ったのか、彼は少し困ったように首を傾げた。
「・・・・良いなあ、お二人は仲が良さそうだし。対等な関係、みたいだし。」
「そう、見えるのか」
「ええ、とても」
「どちらかと言えば、俺は金子に嫌われていると思っていたのだが」
「そんなことありませんよ。それは僕が保証します」
要はころころと笑う。
「でも正直、何だか妬けます」
はぁ、と小さく溜め息を吐いてらしからぬ事を言うので、金子もおや?と眉を上げた。
「・・・・それは、どっちにだ」
「どっちもですよ。僕はお二人とも、好きですから」
「・・・・・・」

「誰を好きになるかは、その人の自由だから、良いんですけどね」
「・・・・そうだな」
ふ、と自嘲気味な笑みが漏れた。 そうだ、どうせ妬くのは自分の方が圧倒的に多いのだ。
だが感傷に浸る間も無く、我知らず深く落としていた肩を金子に抱かれ、耳元に低く囁かれた。
「まあ、そう落ち込むなよ。人生は楽しんだ者の勝ちなんだぞ?どうだ、何なら今から三人で試してみないか?」
励ますようにぽんぽんと肩を叩かれるが、言っている意味が分からない。態度は友好的なのにその笑みに邪まなものを感じるのは、自分の気のせいだろうか。

「試す?何をだ?」
「今更隠すなよ、どうせ始めからそのつもりで来たんだろう?ん?」
こんな時金子が言い出しそうな事に一つ、思い当たるものがあり、唐突に合点がいく。
「なっ・・・!金子、貴様っ!!」
「だって気になるじゃないか、お前がどんな風にするのか。・・・いや、それとももしかして、される方なのか?」
後半の問いは要に向かって発せられている。
「ご想像にお任せします」
不機嫌にぷいっと顔を背けられても、金子は自分の最低な冗談にくつくつと楽しげに笑っている。

 

 

 

「なんだお前、俺は冗談だったのに、満更でもないんじゃないか」
「〜〜〜〜〜っっ!!!」

「・・・・・」

視界の端で金子が土田の前を覗きこんで何か騒がしくしているが、知った事ではない。
ぴりぴり、とチョコレイトの銀紙を剥がして口に放り込む。
甘くて美味しい。
そういえば今日は起きた時から慌しくてずっと食いっぱぐれていたのだ。
薬缶から湯飲みに茶を注ぎ、まだ温かいお茶を飲んで要はほうっと息を吐く。

享楽主義のネコ科の動物も、朴念仁のイヌ科の動物も、本当によく懐いてくれて良かった。
偶にこうして御せない時もあるけれど、鉢合わせた彼らの仲が険悪になるよりかは余程理想的だ。

「でも、もうちょっと躾けが必要かな」
明日、学校に着いたら月村先生に相談してみよう。
暫く終わりそうにない二人のじゃれあいを横目に、要は次のチョコレイトに手を伸ばした。

 

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